ポンペイ
は、その後の修正がいっさいなしで、建造物や街区が当時のままの唯一の町として知られている。後の歴史家たちは、その歴史家の生きた時代のローマが、古代ローマのものをそのまま伝えていると誤認していた。
しかし、
ポンペイ
は、最も純粋に古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りによって規則的に区切られ、計画的に設計された町であった。通りの両側には家と店がある。建造物は石でできていた。
紀元79年の爆発のとき、逃げ遅れた人々は火山灰の中に埋もれて死んだ。後に発掘されたとき、遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどう
ポンペイ
市民が死んだときの形を再現した。
顔までは再現できなかったが、これらのうちのいくつかは、恐怖の表情がはっきり分かる。母親が子供を覆い隠し、火山灰から子供だけでも守ろうとした様子も、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子も、生々しく再現された。
町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きは、当時のラテン語をそのまま伝える。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。
ポンペイ
は確かに当時とても活気のある都市だった。