壊滅後は二度と集落が作られることはなかったが、その後1000年以上「町」という地名で呼ばれ、散発的に古代の品が回収され、下に都市が埋まっていることは知られていた。
その後、ヘルクラネウム(現在のエルコラーノにあった)は1738年に、
ポンペイ
は1748年に再発見された。これらの町は建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにされるために、この後断続的に発掘された。Fontana(フォンタナ)という建築家が、サルノ川沿いを掘っていた1599年に遺跡を見つけてから、150年が経過していた。この時点まで、ヘルクラネウムと
ポンペイ
は完璧に消滅したと考えられていた。
木製やろうのプレートは、非常に安価に作成できる広告として当時広く使われた。現代の日本のホウロウ看板広告に似ている。いくつかの男女の交わりを描く美術品(フレスコ画)は、最初フォンタナによって発掘されたが、将来、考古学者によって再発見されたほうが重要性がわかるであろうと判断したフォンタナ自身が埋め戻したとされる。ただしこれには明確な証拠はない。
ポンペイ
で有名なのは、男女の交わりを描いた絵で、これらはフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けていた。1000平方メートルの広さをもつホテルは、町のそばで見つかった。現在、このホテルは、「グランドホテルMurecine」と呼ばれる。