イタリア先住のオスキ人によって集落が形成された。紀元前7世紀、サルノ川の河口付近の丘に集落があった。その後、紀元前526年からエトルリア人に占領されたが、
ポンペイ
市民はイタリア南部に居住していたギリシャ人と同盟を組み、紀元前474年クマエの海戦で支配から脱した。ギリシャ人はその後ナポリ湾を支配した。紀元前5世紀後半からサムニウム人の侵攻が始まり、紀元前424年にはサムニウム人に征服されることとなった。サムニウム人はまた、カンパニア全体を支配した。この時代、ローマが
ポンペイ
を征服したという説があったが現在、この説を裏付けるものはない。
カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、
ポンペイ
も反ローマ側に加わった。しかし、紀元前89年、ルキウス・コルネリウス・スッラによって町は征服された。これにより
ポンペイ
は周辺のカンパニア諸都市とともにローマの植民都市となった。ローマの支配下に入った後の
ポンペイ
の正式名はColonia
Cornelia Veneria Pompeianorum(
ポンペイ
人によるウェヌス女神に献呈されたコルネリウスの植民市)となった。
ポンペイ
は、港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後、商業都市として栄えた。
紀元62年2月5日、激しい地震が
ポンペイ
を襲った。これにより、
ポンペイ
や他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けた。町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業も完全に終わらない前の紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25日に完全に地中に埋まった。